公害の原点といわれる水俣病が公式に確認されるようになったのが1956年、今から61年前のことです。原因は、チッソ工場からの排水に混入していたメチル水銀で、それによって水俣の地で生きる人たちの「いのち」が蔑ろにされ続けてきました。水俣の叫びと提言は、いま、「水銀に関する水俣条約」という形となり世界へ発信し続けられています。一方、地域では今なお水俣病に苦しみ、その経験を後世に語り継ごうとする人たちがいます。一般社団法人「水俣病センター相思社」の調査によれば、現在も新たな患者の申請や申し立てが続き、その数は6万人を超えています。わたしたちは、水俣病事件から多くを学び、語り継ぎ、「近代文明とは何か」「人間とは何か」を問い続けていくことが人類の未来にとって重要であると考えています。
2009年2月、国連環境計画(UNEP)において水銀によるリスク削減のための法的拘束力のある文書(条約)が制定され、2013年に国際条約として「水銀に関する水俣条約」とすることが決定されました。同年10月、熊本市と水俣市にて、60か国以上の閣僚級を含む約140か国・地域の政府関係者の他、国際機関、NGO等、1,000人以上が出席し、水銀に関する水俣条約が全会一致で採択され92か国が署名しました。水俣条約は、2017年8月16日に発効され、水銀の採掘から使用、大気への排出や廃棄に至るまで、水銀のライフサイクル全体を各国に規制するものです。
水俣病事件を人類の教訓とし、世界各国において水銀の使用量や排出量を減らし、地球規模で「いのち」の尊さと自然環境の大切さを未来へつないでいくことを、私たちはめざしています。
熊本の「水俣展」より
チッソ水俣工場の排水口跡