水俣・熊本みらい基金 未来に向けた声明

2020/05/01

地球の悲鳴は、人間の「生命」の危うさを示唆しています。

恢復への糸口は、国家や政治家に任せるのではなく、一人ひとりの人間の存在と感性に委ねられていると考えるべきです。

〜 気候変動・脱原発への取り組みと自然エネルギーへの転換・推進へ向けて 〜

2020年5月1日
一般社団法人 水俣・熊本みらい基金

半世紀前、レイチェル・カーソン「沈黙の春」と水俣病事件は、さまざまな環境汚染が私たち人類文明に内在する問題であることを訴え、1972年には歴史上初めての環境サミット(ストックホルム人間環境会議)が開催され、環境問題が経済・社会・政治的な課題の中心に位置づけられることになりました。

1970年代は、石油危機と原子力開発によって環境問題の中心がエネルギーと成長に関する問題となり、成長・経済か環境・安全かを問う論争となりましたが、1978年のスリーマイル島原発事故と1986年のチェルノブイリ原発事故が論争に終止符を打ちました。2011年に起きた福島第一原発事故は、グローバル社会にあらためて大きな衝撃を与えましたが、日本の近代史にとっても根本的な転換を迫る大事件となりました。福島第一原発事故を引き起こした産業社会の構図とその後に生じているさまざまな不条理は、水俣病事件と完全に重なっており、日本の政治行政の病理が写し鏡となっています。

1980年代には地球温暖化問題が最重要な環境問題として浮上しました。1992年の地球サミットでの「気候変動枠組条約」に基づいて、1997年には京都で「同条約締約国会議」(COP3)が開催され、温室効果ガス削減目標を定めた「京都議定書」が採択されたことは画期的でしたが、その主催国だった日本が地球温暖化問題に後ろ向きであることは残念な現実です。

その後、「京都議定書」への取り組みは欧州を除いて遅々として進みませんでしたが、2015年のCOP21で採択された「パリ協定」は先進国が今世紀中に実質排出量をゼロにする画期的な合意でした。その背景は、この間に自然エネルギー(とくに風力発電と太陽光発電)の驚異的なコスト低下と普及拡大の進展のおかげで、数年前までは荒唐無稽と思われていた「自然エネルギー100%」が現実味を持ったことです。

そのためCOP21の少し前から、国家レベルの交渉を超えた「非国家アクター」と呼ばれる、都市や自治体・企業などが温暖化対策に向けた対策を主導するような動きがありました。グローバル企業が自然エネルギー100%で事業活動を行うことを宣言する「RE100」や「自然エネルギー100%都市」などが「パリ協定」を離脱したアメリカの中でも多数登場しています。日本でも、11都府県と20市町村が「2050年までに温室効果ガス実質ゼロをめざす」ことを国より先行して表明しています。国連でも「持続可能な開発目標(SDGs)」が提起されるなど、地球の悲鳴に耳を傾ける取り組みがさまざまに実現されたことは評価すべきことです。

アメリカのトランプ大統領が「地球温暖化は陰謀」として「パリ協定」を離脱したことは、予想されていたとはいえ衝撃的でした。対照的に、スウェーデンの15歳の少女グレタ・トゥーンベリーさんがたった一人の行動で世界中の同年代の若者たちや同じ思いを持つ人たちを何百万人・何千万人と揺り動かした出来事には、次代への希望を抱かせます。

そうした変化を目の当たりにすると、いまや国家とか政府という枠組みが世界の変革を先導する時代は終わり、次代をつくるのは一人ひとりの人間の存在・感性が創り出すパワーがうねりとなって時代形成へと向かうのではないかということです。つまり、地球規模の視点で文明論を考察すると、「イデオロギーという「大きな物語」の時代は終わり、その思想は人々にインパクトを与えることができず、分断を生み出すだけ」ということではないでしょうか。さらに、時代はこれまでの資本主義的な経済論や組織論は成立しなくなってきており、その代わりに成熟してきているのが、一人ひとりの人間の存在価値によって生み出される経世済民システムです。それが、例えば持続可能な社会づくり、温室効果ガスの削減・脱石炭・脱原発=エネルギー自立の取り組み、再生可能エネルギーへの転換などに象徴される社会システム・市場システムの構築が始まったと言えるのではないでしょうか。

私たち「水俣・熊本みらい基金」の創設は、水俣病患者やその家族、その地域が闘ってきた歴史、そして熊本震災の被災者とその支援者による復興に向けた覚悟と歩んできた時間の蓄積と同じく福島第一原発事故に伴う不条理が根幹にあります。水俣にも福島にもあまたの生命が大切にされてきた空間(地域)があり、そこから紡ぎ出される新たな空間にこそ、一人ひとりの人間が豊かに存在できる未来があると考えます。

近年の気候変動や原発・環境・エネルギー問題を考えるにあたって、これは単に、「国の経済成長のためには、僅か1℃の地球の気温上昇など問題ではない」「二酸化炭素削減のために原発推進だ」という二項対立の先にある二者択一では解決できるはずはありません。私たちが考える地球恢復の術は、あらゆる地域に生きる人たちがそれぞれ自分の生命を大切にすることから始めるべきではないかということです。そうできる人間は、自分と関係する人の生命も大事にできるようになるからです。人間はそうやって地球の自然と共生していく、それこそが人間の英知による解決方法なのではないでしょうか。私たちがこれまで歩んできた時代が創ってきた文明論は瓦解し、新たな普遍的な社会への道程はすでに始まっているのです。

1956年5月1日、水俣病が公式発見さました。決して忘れてはいけない日、世界はコロナ危機の困難の中にいます。今だからこそ、水俣病を原点にした「水俣・熊本みらい基金」から未来に向けた声明を発信します。

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